おかしなこうじやについて
「おかしなこうじや」は、兵庫県丹波市の 中山間部にある、手づくりで醸す小さな麹屋です。
手づくりなので、たくさんの量はつくれません。
1日に数十キロ仕込むのが精いっぱいで、それも4,5日に1度しか、仕込むことができません。
その代わり、麹にしっかりと向き合うことができます。
ああ、今日は米の蒸しあがりの加減はこんな感じだな、とか、今日の麹菌のつきぐあいはこうだな、とか、そういう一つ一つの微細な生の情報を、つぶさに感じ取ることができます。
ゆらぎにあわせた麹づくり
麹づくりは、全く同じ風にはやれません。
麹菌と、農産物を合わせて、丹波の自然の中で醸すので、同じ条件にはどうしてもなりません。
その”ゆらぎ”に合わせて、麹づくりを調整します。
完全に同じものを目指すでもなく、麹菌の成り行きに任せるでもなく、
こうしたらいい麹になるんじゃないかな?もっとこうしたら美味しくなるんじゃないかな?
その麹が一番美味しくなってくれるように、悩みながら、向き合いながら、醸します。
おかしなこうじやの“おかしさ”
おかしなこうじや、という変な屋号には、いくつかの意味が込められています。
それは「“可笑しさ”であり、“変で不思議なこと”であり、“お菓子らしさ”」です。
おかしなこうじやの“可笑しさ”
おかしなこうじやは、面白い麹屋を目指しています。楽しい麹屋を目指しています。
ユニークで、ユーモラスな麹屋を目指しています。
おかしなこうじやの伝えたいものの一つは、“麹と発酵が暮らしにある豊かさ”です。
発酵って、楽しくて面白いものだと、僕は思っています。
そんな楽しさがある暮らしが、僕は好きで、だからそれを知ってほしくて、この発酵の世界を離れられずにいます。
だから、おかしなこうじやにとって、面白いこと、わくわくすることはとても大事です。
僕がわくわくできて、お客さんもわくわくしてもらえること。
そんなことをやっていきたい麹屋です。
おかしなこうじやの“変さ、不思議さ”
おかしなこうじやは、“変で、不思議で、他にはない、ここでしかつくれないものをつくりたい”と思っています。
僕は友人から「変な人」と言われます。
僕自身は、それほどでもないと思っているけれど、せっかくなら、誰もやったことがないことをやりたいと思っています。
麹などの発酵の世界は、摩訶不思議な世界です。
それを、一つ一つ解き明かして行くのが好きです。
分からない壁にぶつかって、悩んで、苦しんで、師匠や、他の醸造仲間に相談しながら、一歩ずつ前に進んでいくのが好きです。
おかしなこうじやは、変なものをつくりたいと思っています。
それは、まだ誰も見たことがない世界に連れて行ってくれるかもしれないからです。
麹でそんなことをやっていきたい、そんな変わった麹屋です。
おかしなこうじやの“お菓子らしさ”
おかしなこうじやは、“食べて美味しい、甘くてそのまま子どものお菓子になるような米麹”をつくっています。
それは、暮らしのそばに麹を感じてほしいと願っているからです。
麹が関わるものは、本当に多種多様です。お味噌や醤油、酒に米酢にみりんに甘酒など…
麹は、すっかりと、日本人の暮らしの中に溶け込みました。日本で暮らして、麹に触れずに一生を終えるのが難しいほどに、溶け込みました。
でも、麹屋をやってると聞かれます。「麹って、どう使うんですか?」って。
麹は、日本の文化に溶け込みすぎて、近くなり過ぎて、見えなくなってしまったんだろうな、と思っています。
それは、何だか勿体ないな、と思っています。
暮らしのそばに、溶けて見えなくなってしまった、発酵や醸造、菌たちとの関わりに気付けば、暮らしの豊かさが、その見えてくる世界が、少し、変わるような気がしています。
もしも麹が、そのまま、お菓子のように食べられたなら。
暮らしの中に麹の存在が浮かび上がるんじゃないかなと思いました。もっと麹は、身近なものになるんじゃないだろうかと思いました。
そんなことを思いながら、おかしなこうじやは“お菓子”のような米麹をつくっています。
“お菓子らしさ”を通じて、麹をもう少しだけ、身近なものに。
そんなことを考えている麹屋です。
おかしなこうじやは、今日もひっそりと、丹波の山奥で、醸し続けています。